セザールが潰れた理由、なぜ安いか、セザールマンションの評判などを解説

カテゴリ:マンション売却
投稿日:2024.09.19

セザールが潰れた理由やなぜ安いか、セザールマンションの評判などを解説

本記事では、独特なテレビCMで世に知られたセザールセザールマンションについて解説をします。

セザールマンションの評判や分譲実績、セザールが潰れた理由・顛末、セザールがなぜ安いのかなども不動産のプロ視点で詳しく解説していきます。

セザール

株式会社セザールは、一言でいうと、主に首都圏と札幌などの政令指定都市を地盤とするマンション分譲会社であり、東証一部上場の「元気な会社!」でした。

セザールは、首都圏の新築マンション供給数ランキングなどからみても、上位企業を追いかける中堅デベロッパーであったといえます。

セザールとは

社名の「セザール」の命名は、ローマ帝国の偉大な政治家”CEASER(シーザー)“からのもの。「大いなるマンション、セザール」というキャッチフレーズも社名の由来から生まれたようです。

セザールの会社概要

セザールは、かつて東証一部に上場していたマンションデベロッパーです。

セザールの会社概要は下記の通りです。

本社資本金従業員売上
東京都品川区128億186350億
出所:倒産した上場企業データ/売上2002年

続いては設立当初の沿革から見ていきましょう。

セザールの沿革、歴史

セザールの設立から東証一部上場までは下記の通りです。

1971年(昭和46年)式会社ジャパンプラニングセンターの商号で設立

1984年(昭和59年)株式会社セザールに商号変更

1988年(昭和63年)株式を店頭公開

1989年(平成元年)株式会社セザールジャパン設立

1990年(平成2年)東証二部上場

1996年(平成8年)東証一部上場

セザールは、主に首都圏で中高層マンションの分譲に主軸を置き事業を展開、バブル期には大阪、名古屋にも支店を開設するなど事業を拡大してきました。

セザールの特徴

セザールは、マンション分譲会社としては、物件の企画・設計・販売までを一貫して自社で行うという独自のビジネススキームを持つ点が特徴的でした。

1990年当時従業員350人、営業社員はそのうち10%、大京など飛び込み・電話営業のマンション分譲会社とは一線を画す、カウンターセールス主軸のスマートな不動産会社でした。

また箱根や修善寺などでホテルを経営、若干の賃貸業も手掛け1990年に東証二部上場、1996年に東証一部上場を果たしました。

セザールの経営理念

セザールが貫いている経営理念の中でも最も特徴的だったのが棚卸資産ゼロ、高い自己資金率、「寝かせておく土地(資産)を持たない」というキャッシュフロー重視の健全な経営方針でした。

同時に金融機関との関係も「特定のメインバンクを持たずに複数の銀行と付き合う」という方針の基に構築されていたようです。

セザールのCM・キャラクター

セザールは、西部劇映画のカウボーイを模したゆるめのクマのアニメキャラクターが登場して「セザール!大いなるマンション、セザール」と叫ぶCMをシリーズ化、制作本数、放映回数も多く、印象に残っている方も多いと思います。

セザールのCM・キャラクター
出所:CMセザールマンション
セザールのCM・キャラクター
出所:セザールマンションCM1989年

セザールのテレビCMは、今でもネットでご覧いただけますのでご興味のある方は下記をご覧ください。

参考:セザールマンションCM1989年

参考:CMセザールマンション

ご紹介した独自のアニメキャラクターによるテレビCMも盛んに放映されており、実業界の中でもマンション分譲会社として「元気な会社」と認識されていました。

セザールマンション

セザールは、テレビCMによる企業イメージアップの効果もあり、一般大衆にも受け入れられ「元気な会社セザール」と認知されていました。

セザールマンションの販売戦略=商品基準・スペックの特徴、ブランドの認知、世間の評判・評価などを解説していきます。

セザールマンション:セザール横浜仲町台
■セザール横浜仲町台
セザールマンション:セザール北綾瀬
■セザール北綾瀬

セザールマンションの特徴

セザールマンションは、「駅から徒歩15分以内」に立地、「4,000万円前後」の分譲価格、一次取得者向けの小規模戸数の物件が多い点が特徴的で、豪華なエントランスホールや瀟洒な外観などには一切拘らない庶民派マンションの代表各でした。

セザールマンションは、テレビCMでブランドイメージを維持しつつ、経営理念通り一棟一棟完売を目指し販売されていました。

セザールマンションブランドの認知度

少々古い調査ですが、ネット調査を行なうマイボイスコム(株)(東京都千代田区、代表取締役:高井和久氏)によると、セザールのマンションブランドは、下記の通り4番目に高い認知度となっています。

調査によると、最も認知されているマンションブランドは「ライオンズ(大京)」が67%でトップ。以下、「ダイアパレス(ダイア建設)」(57%)、以下「サーパス(穴吹工務店)」(37%)、「セザール(セザールコーポレーション)」(34%)、「パークシティ(三井不動産)」(34%)と続いた。

ブランド認知度と信頼感、トップは大京「ライオンズ」/マイボイスコム調査

セザールマンションは、三井不動産のパークシティを上回るほどのブランド認知であり、人気のマンションブランドだったことが窺い知れます。

セザールマンションの評判・評価

人気のマンションブランドだったセザールは、1980年代後半から1990年代にかけて順調に分譲戸数を増やします。

マンションブランドとしての認知度が高く、マンション分譲戸数ランキングでも10位台にランクインするなど、バブル期前後のセザールマンションに対する世間の評判は高かったいえます。

セザールは、売上の堅調さと株式市場から企業の将来性を評価されたのでしょう、1996年に東証一部上場を果たしています。

セザールのマンションを探すなら、物件概要や参考相場価格も分かる下記マンションマーケットの「セザールのマンション一覧」が便利です。

参考:マンションマーケット|セザールのマンション一覧

続いては、多くのマンションブランドのなかで認知度が4番目に高かったセザールマンションがなぜ安いのか解説していきます。

セザールはなぜ安い

セザールマンションの唯一の欠点、安い理由は、新築時の設計、間取り、什器設備にあると言われています。

当時の不動産業界では、セザールマンションは、販売戸数を増やすため建築基準法の高さ制限の範囲内で一階分多く建てられている、一階分多く建てるため天井高が低くなっている、建築コストを抑えるためエントランスなどの共用部分が狭い、というような噂が囁かれていました。

またセザールは、できるだけ安く土地を取得するため大手と競合し難い小規模物件に特化、水回りのグレード感が低い、お風呂が狭い、狭小で開放感に劣る、間取りが使いにくい、といった物件が多いと言われていました。

セザールマンションの安さは、以上のような建物や住戸の商品スペックを下げ、コストを抑えることにより実現していたといえます。

一方で、50~60㎡程度の専有面積に3部屋確保など狭小にすることで分譲価格を抑え一次取得層向きの価格帯を実現していましたが、坪単価は割高な物件が多かったと言われています。

セザールはなぜ安い:セザール横浜仲町台56.14㎡
■セザール横浜仲町台56.14㎡
セザールはなぜ安い:セザール第二野沢50.76㎡
■セザール第二野沢50.76㎡

前述した「物件の企画・設計・販売までを一貫して自社で行うという独自のビジネススキーム」のセザールがバブル期前後の激動の不動産市場でどのように活躍したのか?

セザールの実際の会社内容を踏まえて、マンションデベロッパーとしてのセザールの分譲実績を年代別にみていきましょう。

セザールのセザールマンション分譲実績

セザールのマンション分譲実績を年代別にまとめました。これは、中古マンションのご購入やご売却の際にもとても重要な参考資料となります。では、セザールの年代別供給戸数を見ていきましょう。

1986年から2002年までのセザールマンション分譲戸数実績とセザールの業界内での全国ランキングをご紹介します。

戸数ランキングセザールと経済
198660221位円高・金利低下
198780218位バブル状態
19881,09113位店頭公開
198992019位日経平均最高値
19901,02219位東証2部上場
19911,0228位バブル崩壊
199269314位株価1万4000円台
199369423位就職氷河期
19941,47717位円ドル100円割れ
19951,07231位円ドル80円台
199691235位東証1部上場
19971,20717位山一證券破綻
19981,38815位長銀破綻
199999928位ゼロ金利政策
200088641位ITバブル崩壊
20011,57518位米国同時多発テロ
20021,29327位日経平均8,578円
出所:株式会社不動産経済研究所
セザールマンション分譲実績

続いては、セザールの前に立ちはだかった第6次マンションブームとセザールについて解説をしていきます、

セザール民事再生前のマンションブーム

セザール民事再生前のマンションブーム:セザール第二西所沢(1999年5月竣工)
■セザール第二西所沢(1999年5月竣工)

1994年政府は、「生活大国」の名のもとに大型減税策などの内需拡大策を執り、これにより国民の消費意欲が向上しました。

この追い風がマンション市場にも大きな影響を与え、不動産好景気としての規模・期間とも過去最大のマンションブームが起こった年と言えます。

セザールと第6次マンションブーム

バブル崩壊後の不動産価格急落と低金利により、1994年「新マンション時代」が到来します。

全国マンション市場動向総括表(株式会社不動産経済研究所編)によると、1991年の新築マンション分譲平均価格は過去最高の4,488万円でした。

その直後、バブル崩壊に伴いマンション価格は一気に急落し、3年後の1994年には平均価格は3,622万円となりました。

これにより物件に「割安感」が感じられる様になり、また立地もバブル期の遠郊外から準郊外にもどり通勤など交通利便性が向上しました。

「割安感があり通勤に便利」な新築マンションの分譲は、マンションの自己所有を遠き夢と感じていた共働きのニューサーティ世代(30代共働き世帯)の購入意識を喚起し、新築契約者層としてこの世代を増やしました。

1994年は、首都圏の新築マンション分譲戸数が8万戸を超えるという大量供給時代が8年続く第6次マンションブームのスタートの年です。

セザールも第6次マンションブームの波に乗り、マンション分譲戸数を増やしていきます。

1990年代のセザールマンションの売れ行き

1994年以降の「新マンション時代」に分譲されたマンションの特徴は、立地は通勤に優しい「準郊外」であり、価格は平均3,622万円(4,000万円前後)です。

皆さん、どこかでお聞き覚えは無いでしょうか?そう、これはセザールマンションの特徴でご紹介した、セザールが会社設立当時から方針としていた分譲物件の基本スペックそのものです。

セザールが分譲してきた「立地は駅から徒歩圏」「価格は4,000万円前後」という物件スペックは、「新マンション時代」のマンションと同調することになります。

1994年は、セザールマンションと新時代マンションの物件スペックが奇跡的にシンクロを始めた年だったといえます。

時代が求めるマンションと合致したセザールマンションは、セザールにとってまさに追い風となり、政府の内需拡大政策による影響もあり、販売戸数の飛躍的な増加という形で結果が現れました。

1994年のセザールの分譲戸数は、前年の694戸から1,477戸へ大幅にアップ、ランキングも17位にアップします。

セザール民事再生まで

セザールは、ピーク時の1990年には売上538億円を上げていましたが、長引く景気低迷の影響もあり売上が低迷、前述したマンションブームにより1999年には509億円まで回復していた売上が2002年には350億円まで落ち込みます。

2003年を境に新築セザールマンションの姿は、忽然と消えてしまいます。

セザールマンションの供給が途絶えた顛末は次の「セザールが潰れた」の章で詳しく解説します。

参考記事:セザール、民事再生法申請|四国新聞社

セザールが潰れた

セザールが潰れた:セザール第二石神井公園
■セザール第二石神井公園(2000年3月竣工)

セザールマンションの販売不振

前述した1995年、1996年のマンション分譲戸数とランキングを見るとセザールは1994年以降2年連続で分譲戸数と順位を下げています。

新築物件の全国的な増加による分譲会社同士の販売競争の激化は凄まじいものでした。

これに対して、東証一部上場前のセザールの販売戦略、人・モノ・金の各オペレーションは、必ずしも十分に対応できていたとは言い難いようです。

当時の経済情勢は、企業に対する減税政策の影響もあり建設費のダウンなどが起こる一方、都心の売り物件の過剰な放出による地価下落という現象も起こりました。

セザールが東証一部上場を果たしたこの時代は、「資産デフレ」という言葉が生まれ、様々な現象が渦巻く複雑な時代だったのです。

その結果、時代の追い風を受け全盛期を迎えるはずだったセザールの企業生命は悲惨な憂き目を見ることになります。

セザールが潰れた理由

セザールはなぜ安い」でも解説してきましたが、セザールマンションは、競合物件と比べ建物や住戸の商品スペックが低い物件が多かったといえます。

セザールが潰れた理由の一つとして、低い商品スペックと割高な坪単価にによる販売不振があります。

下記の通り、週刊住宅も「見劣る商品企画が破綻の要因の一つ」と指摘しています。

商品企画で見劣りする物件が少なくなく、競争力を失ったことがことが指摘できる

基本性能・間取りもユーザーを引きつける魅力に欠けている

セザールが民事再生法申請/見劣る商品企画が破綻の要因の一つ

セザールは2003年に倒産

セザールは2003年に倒産:セザールアクアプラザ(2003年3月竣工/川崎市)
■セザールアクアプラザ(2003年3月竣工/川崎市)

いつの時代も、不動産会社の倒産は珍しいことではありませんが、2003年3月24日、セザールは倒産しました。倒産の修羅場を招いた経営者の行動などを踏まえてその顛末をご紹介します。

セザールの事業資金調達は自社の転換社債発行によるものでした。

セザールの説明によれば倒産の前年の2002年9月末、ユーロ建転換社債の償還金の約68億円の用立ての際、折悪く完成物件の工事費の支払い期限が重なり、たちまち資金が逼迫。

分譲中の新築物件の契約実績も伸び悩み、銀行もセザールへの融資には及び腰でした。

前述のようにメインバンクを持たないセザールは、オーナーの個人資産投入による危機の回避を図りましたが、この時のオーナーの行動が倒産への大きなターニングポイントとなりました。

セザールのオーナー(滝井治仁氏)は、個人資産を事業資金に充当させる際に子会社のジャパンコミュニティ管理を迂回して架空の売上げを計上しました。つまり、当時分譲中の新築マンションをジャパンコミュニティ管理に買わせる形をとったのです。

こうすればオーナーからの資金は子会社の借入金とはなるもののセザールにとっては、本業であるマンション分譲の契約率も上がり営業努力による自力での挽回、となる計算でした。

しかしこれは大きな誤算であり倒産の修羅場を招くこととなりました。

セザールを担当していた中央青山監査法人は、この「身内内での物件転がし」による売り上げ計上を認めず「監査契約の解除通知」をセザール宛に送付したのです。

これによりセザールの帳簿は「粉飾まみれ」であることを世に知らしめることとなり、さらに東証一部上場企業としての信用低下、手形の不渡りを招きました。

そしてその翌月、セザールは倒産したのでした。負債総額は約600億円でした。

セザールのオーナーはその後の倒産に関する説明会、債権者集会にも出席しませんでした。

これらのことは、「創業者の『食い逃げ』、債権者に憤怒の嵐」などと週刊誌にも取り上げられました。

参考文献:週刊ダイヤモンド/2003年7月発行

参考記事:セザール民事再生法適用を申請

中古マンションのご購入をお考えの方々の気持ちを思えば、買おうとしているマンションの生みの親である分譲会社が倒産したことは無関心ではいられないでしょう。

また、中古マンションを買ってすぐにお付き合いが始まり今後その関係が続いていくマンションの管理会社の実際、評判、現時点での問題点等についても同様に、中古のマンションのご購入をお考えの方々は、決して無関心ではいられないと思います。

そんな中古のセザールマンションのご購入をお考えの方々のために、続いてはセザールマンションの管理会社について解説をします。

セザールのマンション管理会社

セザールのマンション管理会社:セザール北赤羽(2000年2月竣工)
■セザール北赤羽(2000年2月竣工)

ジャパンコミュニティ

セザールマンションの管理会社は、親会社の倒産や吸収合併によりその名称を幾度となく変えざるを得ませんでした。

ジャパンコミュニティ株式会社、株式会社セザールサポート、株式会社あなぶきセザールサポートと会社の名称も変わりました。

関連記事:管理会社セザールサポートを吸収分割/あなぶきハウジングサービス

あなぶきセザールサポート

あなぶきセザールサポートは、2018年7月に穴吹ハウジングサービスと合併、セザールの社名が消えることとなりました。

関連記事:経営統合による組織変更のお知らせ|あなぶきハウジングサービス

近年、中古マンションの管理組合での話し合いでそのアジェンダが多岐にわたっていること、なかなか話が纏まらないことは良く耳にしますが、これは今の社会が抱えている解決すべき問題として知識と経験豊富なセザールマンションの管理会社さんにも向き合ってほしいと思います。

セザールとセザールマンションのまとめ

中古マンションの購入や売却をご検討されている皆様は、そのマンションの分譲会社の最新情報や口コミ評判を調べたくなるのは当然です。

しかし、ネットでの情報収集は信憑性に不安があり、さらにその不動産会社が倒産していたり、他社との吸収合併などしている場合、正確な会社情報を得るのはなかなか骨の折れるものです。

この記事では、皆様のご不安や情報不足を解決するために、セザールの会社概要、特徴、会社の沿革、セザールマンションの特徴や分譲実績などについて解説をしてきました。

セザールマンションのご購入やご売却の際に、参考にして頂ければ幸いです。

セザールマンションの売却をご検討の方は、下記記事をご覧ください。

【不動産仲介業者をお探しの方】

関連記事:不動産仲介ランキング!仲介各社の特長や選び方を一覧で紹介

【マンション買取業者をお探しの方】

関連記事:マンション買取でおすすめはランキング上位の高値買取できる業者!

(執筆)松田恭介(まつだきょうすけ)【宅地建物取引士、AFP

福岡県北九州市小倉出身。大手不動産業者を経てファイナンシャルプランナーの資格を取得し、現在は相続不動産処分の相談などを無料で受けている。この道30年以上の経験を持ちながらも不動産市場の現況を把握し常に新たな課題に取り組む姿勢とアドバイスが不動産業者からの支持も集めている。取り扱う物件は土地・マンションなどの居住用物件から商業地域の案件まで幅広い。

監修者

[監修]

今井 俊輔【不動産鑑定士宅地建物取引士

2006年東京テアトル株式会社に入社。不動産鑑定により培った「理論」と不動産取引実務の「経験」に基づき、一棟オフィスビルをはじめ多岐にわたる不動産物件の売買に携わる。現在は管理職として区分所有マンション買取若手社員の育成にも力を注ぐ。

 マンションのご売却は大きなイベントです。わからないことだらけで不安とご心配の皆様のお役に立てるよう、業務で身に着けた知識と経験を活かし、丁寧にお話をお伺いいたします。何なりとご相談ください。
 マンション専門に年間200件以上、取引築年数平均が30.8年と築古物件が得意な弊社が独自メソッドによる査定で高値買取致します。