ダイアパレスはダイア建設の分譲、評判・特徴、CMや安い理由を解説
カテゴリ:マンション売却
投稿日:2024.09.08
この記事は、2008年に民事再生法の適用を申請して事実上倒産したダイア建設が分譲したダイアパレスの評判、特徴や安いと言われる理由などを解説します。
目次
ダイアパレスとは
ダイア建設のマンションブランド
ダイアパレスとは、かつて存在していたダイア建設が分譲していたマンションブランドです。
ダイア建設は2008年に民事再生法の適用を申請し、事実上倒産。その後大和地所による合併で解散しました。
本稿でのダイアパレスとは、解散前のダイア建設が分譲したマンションブランドのことを指しています。
ダイアパレスの特徴
ダイア建設が分譲したダイアパレスシリーズは2,000棟以上の分譲実績があります。
ライオンズマンションの目印が、赤レンガ調の外壁タイルとエントランスに置かれたライオン像だとすると、ダイアパレスの目印・特徴は、大京のそれに比べやや明るめのレンガ調の外壁タイルとエレベーター塔屋などに掲げられた、「ダイア建設」のロゴマークでした。
ダイア建設
ダイア建設の会社概要
ダイア建設はダイアパレスシリーズで有名なマンションを供給していた企業です。
ダイア建設は、2008年に民事再生法の適用の後、大和地所の傘下となり、その後、大和地所に吸収合併されて姿を消しました。
2008年12月、上場廃止前のダイア建設の会社概要は以下の通りです。
社名:ダイア建設株式会社
上場:東京証券取引所第2部
所在地:東京都新宿区新宿6-28-7
資本金:71億8100万円
売上高:409億7,661万円(2008年3月期)
従業員数:322名
設立:1976年(旧ダイアモンド建設株式会社)
ダイア建設の沿革
1976年(昭和51年)
大京観光(当時)出身の下津寛徳が五光住宅株式会社を設立。後にダイヤモンド建設株式会社に商号変更。
1977年(昭和52年)
ダイアパレスシリーズ第1号物件を発売。同年、ダイア建設株式会社に商号変更。
1989年(平成元年)
東京証券取引所第2部に上場。
2003年(平成15年)
産業再生機構の支援第一号となり、レオパレス21の傘下となる。
2007年(平成19年)
ダイアパレスシリーズ2,000棟目発売。
2008年(平成20年)
民事再生法の適用を申請。負債総額300億円(帝国データバンク調べ)。
2009年(平成21年)
大和地所の出資を受け、同社子会社となる。
2014年(平成26年)
名古屋・新潟地区の事業をダイア建設新潟株式会社及びダイア建設名古屋株式会社として分割の上で、ダイア建設は大和地所と合併し解散。
ダイア建設の民事再生と倒産
1989年、ダイア建設は東京証券取引所第2部(当時)に上場を果たします。まさにバブルのピークの年です。
次の年の1990年、一転してバブルが崩壊。
ダイア建設は資金繰りが悪化し、2003年には債務超過に陥り、産業再生機構の支援第一号という歴史をたどります。メーンバンクだった日債銀の破綻(1998年)も背景にありました。
同機構による1,330億円の債務免除を受け、その後レオパレス21の支援を受けるなどしながら再建を試みます。
引き金となったのは2008年のリーマンショックでした。ダイア建設は2008年12月19日、 民事再生法の適用を申請し事実上倒産します。負債総額300億円(帝国データバンク調べ)でした。
ダイア建設の倒産を報じる当時の新聞記事です。朝日新聞デジタル「ダイア建設、民事再生法申請 負債300億円」(2008年12月19日21時45分)。
前述の通り、その後は2009年に大和地所の出資を受け、最後は大和地所と合併、ダイア建設は解散します。
ダイア建設の現在
ダイア建設は、2008年に民事再生法の適用の後、大和地所に吸収合併されて姿を消しました。
首都圏での事業は、同じく大和地所傘下で、日本綜合地所から2015年に商号変更した大和地所レジデンスが担うかたちとなっています。
ダイア建設新潟およびダイア建設名古屋は地域会社として存続し、ダイアパレスのブランドで現在もマンション分譲事業を行っています。
ダイア建設の分譲実績
ダイア建設マンション供給ランキング
ダイア建設は、全国マンション販売ランキングにおいて、1980年に20位と初めてトップ20にランクインして以来、バブル崩壊後の2003年までの23年間、トップ20位内のポジションを続けました。
■ダイア建設 全国マンション販売戸数およびランキング推移(1980年-2003年)
供給戸数 | ランキング | |
1980年 | 789戸 | 20位 |
1981年 | 1,151戸 | 11位 |
1982年 | 1,322戸 | 10位 |
1983年 | 2,305戸 | 3位 |
1984年 | 2,725戸 | 3位 |
1985年 | 1,845戸 | 6位 |
1986年 | 2,068戸 | 6位 |
1987年 | 4,079戸 | 3位 |
1988年 | 5,206戸 | 4位 |
1989年 | 6,373戸 | 3位 |
1990年 | 8,444戸 | 3位 |
1991年 | 2,383戸 | 3位 |
1992年 | 1,364戸 | 6位 |
1993年 | 2,771戸 | 4位 |
1994年 | 6,763戸 | 2位 |
1995年 | 6,058戸 | 2位 |
1996年 | 6,650戸 | 2位 |
1997年 | 5,039戸 | 2位 |
1998年 | 3,742戸 | 5位 |
1999年 | 5,800戸 | 4位 |
2000年 | 5,153戸 | 4位 |
2001年 | 3,859戸 | 7位 |
2002年 | 3,337戸 | 7位 |
2003年 | 2,528戸 | 12位 |
80年代以降は、概ねトップ5位以内のランクを維持しており、1994年から1997年の4年間は、供給ランクNo2の地位を占めました。
バブル崩壊前後
かつて業界では「大京ダイア」とひと括りで称されることが多かったように、ダイア建設は大京の弟分のようなイメージでした。
トップを独走する兄貴分の大京とあわせて、バブルを挟んだこの時期は、「大京ダイア」兄弟2強の黄金時代でした。
ダイア建設が産業再生機構支援の第一号となったのが2003年、そして翌年の2004年にはダイア建設の兄貴分の大京も産業再生機構の支援対象となります。
営業力で日本のマンション業界を牽引した「大京ダイア」のビッグネーム2社は、図らずも同じ時期に行き詰まりを迎えたのでした。
ダイア建設の分譲実績は2068棟
大和地所のホームページには、ダイア建設の全2068棟の分譲実績(~2014年)が掲載されていおり、ダイア建設のかつての存在感の大きさを物語っています。
ダイア建設のCM|東京砂漠
ダイア建設と言えば、だれもが思い浮かべるのが、内山田洋とクール・ファイブの前川清が歌う「東京砂漠」が流れ、新宿の高層ビルの夜景をバックにタキシード姿の男たちがバスケットゴールに興じるCM。CM史上でも傑作との誉れ高い一本です。
このCMは1980年後半のバブル勃興の時期に、水曜ロードショー、土曜ワイド劇場などのCMで流れされていました。
高層ビルの夜景をバックに夜の屋上でタキシードを着た男4人が戯れる姿をスローモーションでとらえた映像は、屈託とは無縁の陽気さや多幸感と同時に、日本であって日本ではないような嘘っぽさも感じさせます。
一方でバックに流れる、一途な想いや覚悟のようなものを歌い上げる歌詞と演歌調メロディの「東京砂漠」は、映像が喚起する無国籍な無邪気さとは正反対の、叶えられない夢を語る際の諦観と哀切さなど暗く重い湿度を感じさせます。
この明るさと暗さ、軽さと重さのコントラストが生み出す脆く儚い夢幻のような感覚は、バブルさなかの高揚感と不安感がないまぜになったような当時の空気感を観る者すべてに感じさせ、このCMによってダイア建設の知名度は全国で一気に高まりました。
今、観ると、そこにはその後の崩壊を予感させるような微かな不穏さも漂っており、このCMは80年代バブルの日本人の心象を代弁する歴史的作品といっても過言ではないでしょう。
ダイア建設のCMはこの「屋上バスケ」編以外にも、同じシリーズで数編作られており、快晴の屋上での縄跳びをスローモーションで捉えた映像に「コンクリート・アイランドに夢がある」とのキャッチコピーが乗せられ、「ファッションの情報よりも鳥や花の名前をもっと知りたい。僕らはコンクリート・アイランドに生きる」とのナレーションがかぶさる「屋上縄跳び」編も、なかなかの傑作です。
バックの曲も「東京砂漠」(1976年)のほかに、同じクールファイブの「遭わずに愛して」(1969年)、やザ・サーベージの「いつまでもいつまでも」(1969年)など、ちょっと昔の名曲が使われています。
これらもyoutubeで観ることができます。
このCMを語ったブログ「あきのたいきちのCMクリティーク」はこちらから。
前川清が語る「東京砂漠」CM撮影秘話はこちらから。
ダイア建設は、そのほかにも青木功、北大路欣也、藤原竜也など著名人を起用したCMも作っていました。
ダイアパレスの評判、評価
ダイアパレスの評判・イメージ
大京の弟分というダイア建設のイメージは、社長が大京観光(当時)出身ということに加えて、利便性の高い立地、コンパクトな間取りで総額を抑えた買いやすい価格、外壁タイル張りの高級感、強力な営業力など、当時の業界最強のマンションブランド、ライオンズマンションのモデルをトレースしたダイアパレスの販売戦略に由来するものです。
一方で、ダイア建設は大京にはないユニークさも併せ持ったマンション分譲会社でもありました。
先に見た「東京砂漠」を使ったCMはその一つと言えます。古い演歌とマンションの組み合わせなど、業界の最大手の大京はもとより、ほかのどのディベロッパーも思いつかないアイディアでした。
ダイア建設は商品企画の面でも他社にないユニークさを有した企業でした。
ダイア建設が設計を依頼した建築家
マンションが都市における新たなビルディングタイプとして登場した60年代から70年代において、著名な建築家が分譲マンションを設計し、新たな都市居住のあり方を模索・提案する試みがみられました。
ル・コルビュジエに師事した坂倉準三が率いていた坂倉建築研究所を起用した「ヴィラシリーズ」、日本モダニズムの重鎮・槇文彦の手になる永遠のベスト&スタンダート「広尾ホームズ」(1972年)、若き内井昭蔵に建築学会賞をもたらした「桜台コートビレッジ」(1970年)、名匠・吉村順三も戸建て感覚の「ヴィラージュ目黒」(1979年)を設計しています。
そうした著名建築家による分譲マンションの極めつけであり、今もって都市型集合住宅の最前衛でありつづけているのが、黒川紀章による「中銀カプセルタワービル」(1972年)です。日本における世界で最も有名な分譲マンションと言っても過言ではないでしょう。
黒川紀章はメタボリズムを代表する建築家であり、当時の建築界のスターでもありました。メタボリズムとは1970年前後に日本で始まった建築運動であり、その言葉が意味する通り、新陳代謝する建築と都市を構想しました。
工場生産された住居カプセルをランダムに積み上げた外観。カプセルは交換可能で、まさに新陳代謝される有機体の細胞のアナロジーとして発想されています。カプセルが次々に更新され、永遠に新しくなっていく。メタボリズムが夢見た永遠に新しい未来です。もちろんカプセル建築は世界初。その色褪せたかつての近未来は、まさにレトロ・フューチャーな姿として、不思議な存在感で見る者に迫ってきます。
永遠に更新可能なカプセル住居という、今もって誰も超えられない発想は、現在も十分に最前衛であり続けています。
残念ながら「中銀カプセルタワービル」は2022年に解体されてしまいましたが、カルト的な人気を誇ったカプセルを保存・展示・再活用する動きがさまざまな分野で広がっています。
ダイアパレス医学町は黒川紀章の設計
1980年代後半以降、マンションはすっかり一般化、日常化し、ディベロッパーが著名建築家に設計を依頼するような物件はほとんどなくなりました。すっかりコモディティ化したマンションに、もはや新たな模索や試みは不要ということでしょう。工夫がなくても売れる、なにもしなくても儲かるという不動産バブルが安易さを加速しました。
そんななかダイア建設が、黒川紀章建築都市設計事務所に設計を依頼して分譲したのが「ダイアパレス医学町(新潟市 1987年竣工)」です。
「ダイアパレス医学町」の設計やデザインは抑制的で、シンメトリーなフォルムを活かしたどちらかといえばコンサバなものと言えますが、三角形に尖がったトップの意匠などが、微かにあの永遠の前衛マンション「中銀カプセルタワービル」を彷彿とさせなくもありません。
バブル時代の売らんがためのマーケティングの1アイディアだったにすぎなかったとしても、分譲マンションの設計に大御所建築家の黒川紀章を起用するような、面倒がって他社が二の足を踏んでやらないようなアイディアを果敢に実行していたというのも、大京や財閥系の大手ディベロッパーにはなかった、ダイア建設という会社のひとつの個性だったと言えるでしょう。
黒川紀章建築都市設計事務所が設計したダイア建設のマンションは「ダイアパレスグランデージ大倉山」(横浜市 1990年竣工)などがあります。
ダイア建設のバブル崩壊後の取り組み
ダイア建設は2005年に100年耐久を謳った「100年スマイル TMキューブ」をコンセプトに掲げ、いわゆるスケルトン・インフィル(SI)マンションに乗り出します。
□週刊住宅web 「新しい住まいづくりの思想とロゴマークを発表/ダイア建設」(2005年4月25日)
仕上げや設備など表層や見た目の差別化やいわゆる高級感で勝負してきたマンション業界に一石を投じる、将来の更新や可変性を担保して社会資産としてのマンションづくりを目指す試みでした。
バブル崩壊の影響からの起死回生の一手であり、アイディア企業のダイア建設らしい王道のチャレンジでしたが3年後、2008年の民事再生法の適用申請に伴い、いくつかの実作がありながら、ダイア建設のSIマンションへの挑戦は頓挫します。
初期投資の重いSIマンションに対する市場の理解は進まず、その後SIマンションにチャレンジする分譲会社はほとんど見当たりません。
ダイア建設・ダイアパレスの口コミ
SNS上ではダイア建設の評判が投稿されています。高い評価がある一方で、ネガティブな意見も散見されます。
ダイア建設は、大京と同様に強力な営業力を武器にしてきた会社です。SNSにおけるマイナスの評判の多くは、ときに強引、しつこいともとられかねない同社の営業手法に由来したネガティブなイメージが元になっているのではと思われます。
ダイアパレスの欠陥住宅
一方で、ダイア建設に関しては、こうしたSNS上の印象論や個人的見解、特定の物件の評価などとは異なる、もっと気になるニュースも見受けられます。
「千葉市、工事不備でダイア建設などに厳重注意」と題されたJ-CASTニュース(2008年2月7日 16時13分)の記事にはこうあります。
「ダイア建設が分譲した千葉市内のマンションでボルトの一部が取り付けられていなかった問題で、千葉市は2008年2月6日、同社と施工会社の「旭建設」に対し、市への報告を怠ったなどとして厳重注意を行った。問題のマンションでは、外階段を固定するボルト188本のうち6本が取り付けられておらず、ナットだけが溶接されていた。近く補修工事を行う予定」
こうした施工不良の問題は、個人の印象やイメージとは異なり、ディベロッパーの姿勢を疑わせる重大な問題と言わざるを得ません。
ダイアパレスの近隣問題など
「マンション紛争Q&A」というサイトに、近隣住民と紛争になったマンション紛争事案がいろいろ掲載されています。その多くはマンション建設にともなう、日照、プライバシー、圧迫感、騒音、風害、振動、工事、景観、環境などの問題とその顛末の情報が掲載されています。
そのなかに「ダイア建設今宿対策員会」という項目では、振動、風害、日照などの障害が問題となったことが記されています。
マンション建設においては近隣問題は避けて通れません。往々にしてこのサイトに掲載されているように紛争事案となることも珍しくありません。ただし紛争の多くは、当事者同士の和解やディベロッパーによる計画変更や撤退によって収束します。
「ダイア建設今宿対策員会」と記された事案で問題なのは、「建築基準法違反で建築確認取消」との記載があることです。
SNS上でもこの問題に言及した投稿が複数あります。
この問題も、先の施工不良の問題と同様に、法律違反という極めて深刻な問題です。
SNS上に流されているダイア建設へのネガティブな意見の背景には、同社の営業姿勢に由来するイメージに加えて、こうした重大な問題が繰り返し引き起こされていたというダイア建設の企業風土自体に問題の根本にあったのではないかと推察されます。
ダイアパレスの中古マンション
ダイアパレスは壁が薄い?
下のSNSの投稿では「ダイアパレスは壁が薄い」との意見も見受けられます。
結論から言えば、マンションのスラブ厚(床厚)や壁厚は個別の物件で異なっており、一概にはいえません。ダイアパレスが総じて壁が薄いということはありません。
販売された時代によりマンションの仕様は異なっており、80年代初頭ぐらいまでは、スラブ厚:120mm、壁厚:150mm程度が一般的でした。
その後、商品企画が競われる時代が到来し、80年代半ばぐらいからは、スラブ厚:150mm、壁厚:180mmぐらいが標準と言われるようになりました。
バブル崩壊の後の1990年代の大量供給時代のなかで、マンションの基本性能も向上し、現在ではスラブ厚:200mm以上、壁厚:180mm程度が標準となっていると思われます。
したがって、同じダイアパレスでも販売時期によって、スラブ厚や壁厚は異なっており、築年数が古い物件の場合は、今の新築に比べて壁が薄い物件も当然ながらあると思われます。
遮音性は床や壁のコンクリート厚さだけでは判断できません。床スラブの面積、床や壁の構造(直仕上げか二重仕上げか)、フローリングの性能なども関係してきます。詳しくは「リノまま」の記事をご覧ください。
ダイアパレスが安いと言われる理由
「イエシル」というサイトに「ダイアパレスの中古マンション・価格相場情報」が掲載されています。
はたしてダイアパレスの中古マンションは安いのでしょうか?
これも一概には言えないと思われます。
ダイアパレスは、高利便の立地でコンパクトな間取りを中心に展開しており、高級な仕様や豪華な設備などはなく、立派な共用空間などもなかったとはいえ、他社と同等の設備・仕様による普通のマンションでした。
一般に分譲マンションビジネスにおいては、規模のメリットは働かず、往時は全国供給ランクNo2のポジションを獲得していたダイア建設といえども、製造コストが他社に比べて低いとは言えません。
具体的には「ライオンズマンションの評判・特徴と分譲会社大京の会社概要などを解説」をご覧ください。
もしダイアパレスが安いとの印象があるのであれば、それは設備・仕様などの商品性にあるのではなく、また製造コストにあるのでもなく、ダイアパレスの供給戦略、すなわち、多くの重要が見込める高利便立地において、販売しやすい価格(総額)にするために住戸面積を絞ったコンパクトな間取りを企画する、という戦略に由来したものだと考えられます。
ダイアパレスにおいては、ファミリー向け住戸よりもさらに面積を絞った1R、1DKなどの狭小な投資家向け住戸などを混在させていたことも、価格(総額)が安い住戸が多いという印象の一因ではないでしょうか。
関連記事:セザールが潰れた理由、なぜ安いか、セザールマンションの評判などを解説
ダイアパレスの管理会社
ダイア管理
ダイア管理はダイア建設の子会社でダイアパレスのマンション管理業などを担っていました。
親会社のダイア建設は、経営再建のために、2008年にダイア管理とダイアリビングサービスの株式をアドバンテッジパートナーズに売却。
同年ダイア管理を存続会社として合併し、ダイアコミュニティサービスに社名変更します。
コニュニティワン
ダイアコミュニティサービスは2009年コミュニティワンに社名変更します。
2020年に同社の従業員が管理組合財産の着服で行政処分を受けたことは記憶に新しいところです。同社は過去にも同様に行政処分を受けていました。
□マンションNPO web 「処分を受けたマンション管理業者一覧」
コニュニティワンは2013年に東急不動産グループ入りし、その後、2021年に東急コミュニティーに吸収合併されました。2021年3月時点のコミュニティワンの管理受託戸数は160,683戸でした。
□出典:Wikipediaダイア建設およびWikipedia コミュニティワン
ダイアパレスのまとめ
● ダイアパレスはかつて存在していたダイア建設が分譲していたマンションです。ダイアパレスは2000棟を超える実績を有するマンションブランドでした。
● ダイアパレスは、外壁タイル張り、便性な立地、コンパクトな間取りで比較的買いやすい価格などが特徴。エレベーター塔屋などに掲げられたダイア建設のロゴが目印でした。
● ダイア建設の創業者はマンション最大手の大京出身。業界では「大京ダイア」と称され、強力な営業力を武器に全国供給ランキングで1位、2位を独占するなど、2強体制の時代を築き上げました。
● ダイア建設は、「東京砂漠」が流れるCMで一世を風靡。設計に大御所建築家の黒川紀章を起用したり、SI(スケルトンインフィル)マンションにチャレンジするなど、他社にないユニークさも併せ持っていました。
● 時に強引とも評されたその営業姿勢はダイア建設のイメージに影を落としています。法令違反や施工不良などの残念な事案も見受けられました。
● バブル崩壊で資金繰りが悪化。産業再生機構の支援、民事再生法の適用などを経て、最終的には2014年に大和地所が吸収合併。名古屋・新潟エリアの事業はそれぞれの地域会社として分社化され、現在も存続しています。
● ダイア建設の管理会社コミュンティワン(旧ダイヤ管理)は、経営再建のために売却され、最終的には東急コミュニティに吸収合併されました。
東京工業大学大学院修士課程修了。一級建築士。 本・映画・音楽・アート・デザイン・ファッション・都市・建築・食・料理・ワイン・まち歩きなどのフィールドを横断的に渉猟・論考するnoteを主宰。 |